あなたの元へ届けたい

眠れない夜がある、目が冴えて寝つけない夜が。
そんな時は潔くあきらめてじっくりと腰を据えて文章を読むか、それとも書くか。
誰かがそんな事を言っていた気がするけれど、もしかすると僕の勘違いなだけかも知れない。

眠れない夜に触れる言葉には魔法がかかっていることも多いものだ。一つひとつの言葉に宿る魂みたいなものに魅せられることがある。言霊に近いものなのかも知れない。
もしもそうならば、僕の言葉もカーテンを薄く照らし出した朝日の向こう側に吹く風に乗って、あなたの元へと届けばいいなと思う。

ありがとう。
いつも屈託ない無邪気な笑顔を。

ありがとう。
周りをパッと明るくさせる存在感を。

ありがとう。
分け隔てなく人に与えていたその元気を。

ありがとう。
出会えたことを。

サラサラと流れ出した砂時計は、今も手のひらから溢れてはこぼれていく。
もう一度逆さまにして一から時間をはかることが出来たならと、どれほど思うか。

あれから音のない毎日が続いていた。
いや、厳密に言うと音は聞こえているけれど、頭に入って来なかったんだ。
イヤフォンで耳を塞いでも右から左へ流れていくだけだった。
大勢の人混みが行き来する雑踏の中にいても何一つ音がしなかった。

昨日の昼休みに、食事を終えて公園のベンチでただボーッと座っていた。
何気なく見上げた空は、9月を迎え夏の密度の濃い青から白と水色の淡いグラデーションに変わっていた。
その空をゆっくりと流れて行く薄い雲をぼんやりと眺めていた時に急に聞こえたんだ。
あなたの声が。

その声が聞こえた途端に、木々の枝葉がすれ違う音や風が耳をくすぐる音、キャッチボールをする子ども達の笑い声、散歩する犬の鳴き声、その他いっさいの音が僕の中に入って来た。

あなたとは今もこうして空の下つながっている、そう思ったら僕は涙があふれた。

あなたのことをひまわりだと言う人がいる。
僕が知る限りでは、あそこには本当にたくさんのひまわりが咲いていると思うけれど
あなたがその筆頭であることに僕も異論はない。

あなたはそんなことはないと言うかも知れない。
気を使うあなたのことだから謙遜するかも知れない。
だけどこれだけは言えるよ。

あなたはたくさんのひまわりの種を残していった。

みんなの中に、一人ひとりに、あなたのひまわりの種が埋まっています。
いつか大きく育んだら、ひまわりの前で一緒に写真に写ろう。
その時まで。

じゃあまた、ね。
本当に、ほんとうにありがとう。

夏が終わる。

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もくもくと綿菓子のように描かれた入道雲もすっかり影をひそめ
気がつけば淡く青く澄んだ空が、薄くなった雲の向こう側に透けて見えた。
空はどこまでも、どこまでも高く。

朝からの蝉の鳴き声は穏やかに
夜の帰り道、虫たちの鳴き声は艶やかに

夏休み最後まで残した宿題を半べそになりながら
必死に片付けるように、ブログ再開。

ランチインサバンナ

前夜の雨をたっぷり吸った大地
まだ少し湿気た土と混ざった芝のにおい
拡げたシートはいざ情熱の大陸へ

前夜からの気持ちをたっぷり含んだランチ
もうすっかり暖かい日差しと混ざった僕の気持ち
開いたつぼみから聞こえるはあなたの笑い声

赤・緑・黄

いただきます!
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春爛漫、麗らか日和。

先週末の雨のおかげで、ようやっと春らしくうららかな陽気の日々。
そして4月。新年度です。
新しい環境に身を置く人
仕事が増えた人、減った人
以前と変わらず年度だけが変わった人
それぞれの4月だと思います。

僕はと言えば、年度が変わり3月のあの怒濤の忙しさも少し落ち着いてきた感じ。

そんな4月最初の日曜日、万博公園まで大好きなさくらを愛でに行きました。

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見上げるとそこは春爛漫。
突き抜けるような空の青と
淡い桃色が織りなす美しいコントラスト。
それはこころを優しく彩るのです。

一年のうちでほんのちょっとの期間
人はなまぬるく心地よい風に頬をくすぐられ
それぞれどんな思いでこの景色を見上げるのだろう。

過ぎ去りし日々に思いを馳せるのだろうか?
それとも、来たる日々に胸躍らせるのだろうか?

そのどちらもが愛おしい
人間のこころ模様だと思います。

さくらは散るから美しい。

ごちそうさま。

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映画を見てきました。
今年は1月に「シャイン・ア・ライト」を見たので僕にとって2本目の映画。

2月にはDVDながら「バッファロー'66」を見ていたのです。
「これでDVDも合わせたら毎月映画を見ていることになるね」と僕。
「DVDはカウントに入れちゃダメよ」と彼女。
2009年は少なくとも2ヶ月に一度、映画館に足を運ぶことがこの時決まったのでした。

もう4月になると言うのに、寒の戻りで神戸はクリスマスのように肌寒かった。
さすがに12月の魔法は解けていたけれど、街には春休み特有のおっとりとした時間が流れていたのです。

予約した座席に着いて見た映画は「ホノカアボーイ

あの温暖な、湿気を含まないカラッとした気候であったり
まるでそこだけ時計の針の進むのが遅いようなのどかさであったり
その土地でのんびり暮らす人々の素朴なあったかい笑顔であったり
そんなハワイの空気を、そのゆるさのまま、
時には本当に時間が止まった写真のように
映像として美しく切り取っていました。

まるでプールで遊んだ後に感じる少し気怠く眠い心地よさに似た
僕にとってはそんな映画でした。

色褪せたような映像は少しもないのだけれど
ハワイ特有の、あののんびりした空気感とあいまって
ともすれば単調になりがちになるであろう流れの中
時に映るビーさんのかわいらしい服装や仕草
キュートな部屋のカラフルさが僕にはとても印象的でした。

ハワイは僕にとってはとても思い入れのある場所です。

もうすぐ24歳を迎える春に、僕は下の兄の結婚式でハワイに行きました。
残念ながら上の兄夫婦は仕事の都合で行けずでしたが、父母と僕の三人で行く初めての海外旅行でした。

母にとっては、それが生涯最初で最後の海外旅行でした。

飛行機に乗ること自体が初めてなのに、日付変更線をまたぐ長時間フライト。そして時差ボケ。
常夏の島に一人はしゃいで街だ!美術館だ!と繰り出す僕とは対照的に、無事に式に出席した後は日中もホテルの部屋で寝込んでいた母さん。
父母と僕の三人で食事したホテルのブッフェで、コーヒーをこぼして服を汚し、どんくさいと父に叱られていた母さん。
岩礁の上をこわごわ歩き、辿り着いた岸壁の先に飛び散る波しぶきに一緒に声をあげた母さん。
兄夫婦や父、そして僕が喜んで海で泳いでいるのを一人麦わら帽子をかぶり木陰の下からまぶしそうに眺めていた母さん。

僕にとって最初で最後の家族揃っての海外旅行の地、ハワイはとても思い入れがあるのです。

映画を見ながら、そんな自分の中にある大切な映像を思い出しました。

そして、往々にして映画中に登場するビーさんの手料理。

ビーさんは言う。
「明日から毎日ここで晩御飯たべていきなさい」

食事を作る人の思い。
食事を食べる人の思い。

母さんの手作りの
あの懐かしい料理をもう一度食べたい
こころから、そう願ってしまった。

レオがビーさんに向けて発した最後の言葉。
そのひとことを聞いて僕は涙が止まらなかった。
そこには、彼が本当に伝えたい思いがこもっていたから。

本当に伝えたい思いは、ことばにすると時として簡潔です。
それ以上のことばにならないし、それ以下のことばにもならない。

それはまるでハワイで暮らす人々のように
素朴なことば。

ハワイ ハワイと来てみたけれど
お里恋しや 月の虹
ハワイ ハワイと来てみたけれど
あなた恋しや 月の虹

なにはともあれ、さくらさく。

三連休もバタバタと
あっという間に終わってしまいました。

普段の毎日と何ら変わらない時の流れのはずが
あっという間に過ぎていく不思議。

連休だとなおさらのこと。
さりとて、それは至福のひととき。

詳しい話は書きたいけれど、書く時間取れるかなー
と最近の忙しさに我ながら少し心配。

なにはともあれ
さくらさく。

もうすぐ四月の風が吹く。

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三連休の最終日。
地元で雨の中、咲いていた
今年僕が最初に出会った桜。
あいにくカメラを持ち合わせていなくて
久しぶりに携帯でぱちり。

別れの季節

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3月は春を待つよろこびがある、と先日の記事で書きましたが
3月は別れの季節でもありますね。

3月の別れと言うと、学校や職場での別れがまず思い浮かびます。
浮かぶんですが、今回はもっと私的な、プライベートな別れについて
思ったことを少し書こうかなと思いました。

最近周りでそう言った話を聞く機会があったからなのか、
それとも、別れの季節である3月がそうさせるのか。
どちらにせよ、別れと言うものはつらく悲しいものです。

  • 大切な人との別れ

一番身近な別れではないでしょうか?
誰もが経験するであろう別れ。
日常にひそんでいる別れとも言える。

例えば表情をコロコロ変える空のように、気持ちも変わったのかもしれない。
例えば積木がガタガタと一瞬で崩れるように、信頼も崩れ落ちたのかもしれない。
例えばある日突然昨日までが夢のように、自分の存在を拒絶され否定されたのかもしれない。

どちらにせよ深く傷つきますし、悲しみはあふれます。

ただし、コミュニケーション次第では
今後の関係を再構築出来たり修復することも可能です。
これは失う大切な人が異性なのか同性なのかを問いません。

また、異性の大切な人と別れた場合
新たな出会いへと進むきっかけであると考えることも出来ます。

当事者にとって、その時は死活問題ですが
のど元過ぎればなんとやら。
必ず時間が解決してくれるはず。

そして、そんなあなたを理解し寄り添ってくれる人も
いつか必ず現れるはずです。

人は痛みを経験すれば、
それだけ他者の痛みを理解出来るようになると思うのです。

それはつまり、
人を思いやる優しさを手に入れること。

そんなあなたにはきっと素敵な人が現れるでしょうし
なにより今、気にかけて声をかけてくれる人たちが
もうすでに、あなたのよき理解者でもあるのです。

前を向いて足を踏み出せば、必ず進めます。
自分のペースで歩けばいい。
その先にはきっと新しい世界がある。

  • 大切な人との永遠の別れ

人はこの世に生を受けた以上
いつか必ず死にます。

遅かれ早かれ
必ず死ぬ。
これは摂理ですね。

そして小さな子供を除く人間は皆
僕も、あなたも
そのことを理解し、また認識しています。

ただ、死と言うものは
やはり日常的ではない。
非日常であり、身近に感じることは少ない。

人間は本来、死と隣り合わせで生きているはずなのに
医療をはじめ文明の発達で、それを忘れがちです。
特に日本だと、忘れて当然の暮らしに身を置いていると言える。
それが悪いと言いたい訳ではありません。
むしろ幸せなことだと思います。

その反面、
実際大切な人の死に直面した時はじめて
そのことを思い知らされる人も多いのではないでしょうか。

悲しいかな、僕たちは永遠の命は持ち合わせていないのです。
そしていつか、
必ず大切な人、最愛の人との永遠の別れがやってきます。

どうかそれまで、
大切な時間を
穏やかな時間を
輝かしい時間を
大切に過ごしてください。
胸に刻んでください。

そして、静かに見送ることが出来たらいいと僕は思います。

関係が近しいほど、喪失の揺らぎは大きいでしょう。
場合によっては、自責や後悔の念に押しつぶされることもあるかもしれません。

残された人は、自分を責めないでください。
自分を責めないでくださいと言っても、きっと自分を責めると思います。
なので繰り返し言います。
自分を責めないでください。

どうか、感情を押し殺さないでください。
抑えつけないでください。
泣いて泣いて泣き続けて
泣きはらして疲れて眠るまで
泣いてください。

そして、誰かに話してください。
悲しみを、つらさを誰かに伝えてください。
感情を共有することも大事ですが
まずは誰かに聞いてもらうだけでいいと思います。

悲しみは続きます。
一生続くかもしれません。
ただ、時間の経過とともに
思い出す機会は減るかもしれません。
それが悲しいと言えば、そうかもしれませんね。

悲しみを乗り越える必要はないと思います。
悲しみとともに歩む人生もありだと僕は思うのです。

  • 自分自身との別れ

生きることは時にきびしいものだと思います。
特に今この時代
未来や希望が見いだせない時期があっても不思議でない気がします。

誤解を恐れずに言うと、
僕は自ら死を選ぶことを否定もしませんし、肯定もしません。
ずるいと思われるかも知れませんが、そう考えているのです。

今まで身近に自ら命をたった人はいません。
「死」は日常において身近に感じず忘れがちであると
先ほど話したのと同じように
僕にとっての「自殺」は非日常であり
身近に感じていないので
否定も肯定もしないと簡単に言えるのかも知れません。

だけれど
否定もしないし肯定もしないけれど
あなたに生きて欲しいと僕は願います。

あなたのつらさや悲しさを僕は知りません。
だけれど
あなたが消えたてしまいたい、楽になりたい
という思いはわかります。

あなたがあなた自身に別れを告げる前に
どうかその思いを
何があったのかを
終わりにする前に
誰かに話してみませんか。

こころの闇は誰にでもあります。
暗い話、後ろ向きな話、救いようのない話。
どんなことでもいい。
誰かに話してください。

あなたの両親に
あなたの兄弟に
あなたの友達に
あなたの先生に
あなたの同僚に
あなたの上司に

話せそうな人が誰かいますか?

インターネットを使ってもいいと思います。
ブログでもいいです。
匿名でもいいです。

あなたの気持ちを話してみてください。

死ぬことはいつでもできますが
死んでしまったら取り返しがつきません。
やり直すこともできません。

結論を早く出さないで欲しいと願います。
なんとか今日を生きることを考えて欲しいと願います。
そして、明日の朝を迎えてほしいと祈ります。

決め事は後回しでもいいんです。
後でゆっくり落ち着いて考えればいい。

今が1番苦しい時かも知れません。
ごまかしてもいい。
小さな理由でもいい。
とにかく通り過ぎることが出来れば
きっと光は射してくると僕は信じています。

あなたにとって1番大切な人が、あなた自身であるように。
こころと身体をゆっくり休めてあげてください。